2017/03/20

雑記:「第5回」



今回の雑記は、憧れる人と興味がない人に別れるテーマかもしれません。

SMプレイの性質には、「加虐側」「被虐側」の自然な役割分担ができ、ある種の主従関係ができています。

それでも、「奴隷になりたい」「ご主人様が欲しい」と願う人々がいます。

では、なぜSMプレイをする多くの方が「ご主人様」と「奴隷」という、より明確な関係性を求めるのでしょうか。

一般的には依存の関係を望んでいると言われていますが、個人的にはその前段階として依存できない性格が関係しているように思います。

「奴隷になりたい」「ご主人様がほしい」を望むM女性の多くは、自分を素直に表現できない方に多いような気がします。

特に甘えたり泣いたりといったような、弱い部分を見せたがらない人が多いのではないでしょうか。

そのような人は時々窒息しそうな息苦しさを感じたり、理解してもらえない不安や苛立ちを感じたりしていませんか?

抑圧された感情の消化は、幼い頃より自然と妄想の中で消化されていたはずです。

その成長過程のどこかでSMという知識が入り込み、妄想は性的嗜好を帯びたSMへと融合していったと思います。

融合された妄想の中で、SMプレイは自分を解放できるプレイであり、自分の弱い部分を受け入れコントロールしてくれる妄想内の絶対的な対象者に服従する喜びを見出したのではないでしょうか。

そして、やがて妄想では抑えきれなくなり現実へと相手を求めに行きます。

しかし、妄想と現実の違いは、当然、人それぞれの結果を生みます。

理想通りのご主人様と出会えたと至福の時を過ごせる人もいれば、理想とは程遠い「なんちゃってご主人様」しかいなかったと失望する人もいれば、何人もの「ご主人様」に従えたがまだ本当の「ご主人様」には巡り合えていないので探し続けるという前向きな人もいます。

こればかりは、相手のS側も同じ人間ですので妄想の中のように自分の思い通りにはなりません。

折り合いをつけて納得するか、理想を追い求め続けるか、はたまたSMは妄想に止めて別の道を歩むか――。

一方で、「ご主人様」は必要ないという人たちもいます。

最初からそのような者を望まず、SMは信頼できる相手と楽しみながらプレイできればいいという人たちです。

冒頭にも書いているように、SとМという自然な役割分担で結構だと。

なまじ、「ご主人様」や「奴隷」という役割を決めたせいで、お互いに重荷になる場合もあります。

妄想や理想とは違い、人には人それぞれの持っている器があるので、それを知るのも大切なことではないでしょうか。

特に、「ご主人様」になりたがるSの「器」にこそ注意が必要のように思います。

そのようなSは都合のいい女性を欲しているだけか、自身が必要とされたい求められたい寂しさを埋めたい人たちです。

無論、自分は意思なく都合のいいように扱われたい嗜好の女性もいるでしょうし、孤独を埋めてあげたいという慈愛の女性もいるでしょう。

しかし、「ご主人様」にある程度の強く大きな器を求めている人であるなら、本物の「ご主人様」を見つけるのはかなり長い道のりを歩む覚悟が必要かと思います。







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